なにゆえに全く読みが違う漢字を誤変換してしまうのか、HaZaMa様のお知恵をぜひお貸しください。

kodomono-omocha様よりの質問。転載させていただくと。

謹啓、青葉若葉のみぎり、HaZaMa様にはますますご健勝のほどお喜び申し上げます。いつも格別なお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。

さて、この度このような書状をお送りする次第に至りましたのは、HaZaMa様にどうしてもお伺いしたき儀がありまする故に御座います。何ととぞご支援のほどよろしくお願いいたします。
というのは、わたくしめが日ごろ巡回しております上武斉藤の誤字に関してに御座ります。書を紙に筆記具をもってしたためる場合、不覚にも漢字を誤って記す場合が御座いまする(注:平仮名や片仮名を間違う奇特な方も一部にはおられまする。)が、今比宇多亜を用いて書をしたためる場合には漢字を誤って変換してしまうことが御座ります。
例えば、「汚職事件」を「お食事券」などという具合で御座います。今比宇多亜の場合は音を入力することで漢字を呼び出しまするので、必ず同じ読みができる漢字を誤変換に至るわけで御座りますが、その上武斉藤ではなぜが誤変換ではなく明らかに漢字を間違っているのです。
例えば、「動く」を「勤く」、「自分」を「目分」といった調子です。
一体全体これは何ゆえのなのでしょうか?「うごく」をどう間違えば「きんく」となるのか?「じぶん」どう間違えば「めぶん」になるのか?それがしにはさっぱり頓珍漢に御座ります。
なにゆえに全く読みが違う漢字を誤変換してしまうのか、HaZaMa様のお知恵をぜひお貸しください。

今後とも、よろしくご指導のほどをお願い申し上げます。

回答が長くなるので時候の挨拶は前略で済ませていただきます。誠に申し訳ありません。
今比宇多亜を用いて折るにも拘らず、何故読みの違う漢字をしたためてしまうのか、という疑問で御座いますな。お若いkodomono-omocha様はご存じないかもしれませんが、昨今のやうに今比宇多が一般的になる前は印字印刷には和唖符呂が主に使われておりました。和唖符呂は昭和五拾参年に東芝が開発したのですが、それ以前は活字を印字するためには和文タイプライターが使われておりました。この和文タイプライターは壱千以上の文字を盤面から拾わなければならず、熟練者にしか扱えなかったのです。新聞などもこのように作られておりましたが、徐々に和唖符呂が普及し、和文タイプライターは姿を消していったのです。
さて、ここまで書いたのなら聡明なkodomono-omocha様ならお気づきでしょう。上武斉藤で漢字を間違っておるのはこの和文タイプライターの生き残りが活字を印字しているからであります。

・・・となるべく、古めかしく書いてみましたが何かが違う。多分間違っている。納得がいかない。今更和文タイプライターなんか使っている奴がいるだろうか?(反語)むしろ、より高等な技術によって漢字を誤っているのではないか?何故ならワープロから始まる読み入力後の漢字変換ならば、漢字そのものを誤るということはありえないからだ。
やはり、漢字そのものを誤る可能性は手書きしかありえないだろう。手書きと言えばIMEに標準搭載されているIMEパッドだ。これで実際に「自」と「勤」と書いてみた。するとどうでしょう、見事に「自」=「目」、「勤」=「動」と変換されてではないか。これは最早疑う余地が無い。今比宇多亜を用いて読みの違う漢字をしたためてしまうのは、やっぱり手書きだからだ。彼らはもう少々丁寧に字を書くようにした方が良い。